926件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 地震・津波
延享3年(1746)、地震により、加奈木の大崩壊があった。大森の田畑50余町歩、人家30数件が一挙に押し流され、奥地区の中心地は河原と化したと伝えられている。ただし、延享3年の加奈木崩壊によって大森地区の田畑・人家が全滅したとする通説には疑問がある。この時より... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日巳の刻(午前10時)に大地震が発生し、土佐国中で死者1,000人余と伝えられている。特に上の加江や矢井賀、志和村では山際まで津波が到達した。この大地震の状況を記録した古文書「宝永大変記」の原文が掲載されている。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、M8.4の地震が発生し、津波は紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大で、種崎では一木一草も残らなかったという記録がある。南路志などによると、安芸郡の海浜では600mほど海水が沖に退いてから大潮... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日未の刻(午後2時)、地震・津波が襲来した。「万変記」には「御城下廻堤不残打越押切大潮入込み、西は小高坂・井口、北は万々・久万・泰泉寺・薊野・一宮・布師田、東は介良・大津の山の根まで一面の海と成。大波打事都合六七度、其浪の高さ五、六... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、地震が起こり、津波が来襲した。この論文では、宝永地震・津波に関する石碑として、西町大善寺麓の二ツ石大師境内の地蔵、青木町の津野神社前の地蔵、大善寺墓地の宝永津浪溺死之塚を紹介し、碑文の解説等を行っている。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、M8.4の地震が発生した。地震後、高知で20m、久礼で26m、宿毛で11m、佐賀で15m余の大津波が押し寄せた。佐賀では津波は鹿島で2つに別れて侵入し、城ノ鼻は70mも切れ取られ、新田の妙光寺、現大和田の願成寺も流失し、この波は... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、南海道沖大震(M8.4)により、潰家死傷夥し。九州南岸より伊豆まで津波を受ける。土佐での高さ20m余、土佐西南部所々陥没。(「高知県百科事典」による)/「梼原町史年表」には、大地震井戸水ことごとく切れる、大潮あり御救来儀男3合、... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、大地震により、「南路志」に種崎一村亡所となる、溺死者704人などと記されている。本村も多大の被害があったであろうが記録はない。古老伝説によると、宝永4年の大地震の海嘯は当村、三嶋村下島の海浜切戸を押し切り、西は浜改田の低地を打越... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日の地震に伴う土砂災害により、仁淀川中流の舞ヶ鼻に天然ダムが形成された。天然ダムの湛水標高は61m(湛水高18m)と推定され、越知町柴尾地区には「石碑(湛水標高61m)より下部には家を建てるな」という言い伝えが残されている。 続きを読む