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条件: 地震・津波

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文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日、土佐沖を震源とするM6.9の地震により、この地域でも震害があった。(「愛媛県気象史料」、「愛媛県土地保全資料」等による) 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日、地震発生(M6.9)。松山でも被害が多かったようだが、詳細不明。 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日夜6ツ半時、伊予灘東部でM6.9の地震が発生した。「松山史要」によれば、3月10日より15日まで地震が起こり、損害が多かった。三瓶町でも、ある程度の揺れはあったものと思われる。 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日戌上刻(20時)、地震甚だしく、未曾有のことであった。幡多や中村では御城下よりも格別に強かった。翌日までに11度余震が起こり、その後も度々地震は発生した。(「宮地日記」による)安芸郡史考には「浦辺はやめへ逃げる者多く騒動する」と記... 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日、伊予松山を震源とするM6.9の地震により、松山でも被害が多かったようであるが、詳細は不明。 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日より15日まで、地大いに震い、損害多し。(「大日本地震史料(松山概要)」による) 続きを読む

文化11年の地震

文化11年(1814)10月11日、地震。日本地震資料-宮地日記には「夜酉の上刻(18時)地震余程強くゆる。去々年3月1日の夜の地震よりは強き方に覚ゆ。家中下町辺垣壁等少し破損有之由、其後も夜中今12日にかけ小震度となり」と記されている。 続きを読む

文政11年の地震

文政11年(1828)11月22日、大地震。(「徳島県史」による)(ただし、半田町では地震により大きな被害を受けたという記録はない。) 続きを読む

天保2年の地震

天保2年(1831)、京都大地震、半田では行灯の火が消えたという。(ただし、半田町では地震により大きな被害を受けたという記録はない。) 続きを読む

天保6年の地震

天保6年(1835)2月17日夜、大地震。(「歳々文政寄寺官神雨水照記万事覚附」による) 続きを読む

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