検索結果

2508件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海大地震、津波各所水筋くるう。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

安政元年の地震による土砂災害

安政元年(1854)11月5日の南海地震に伴う土砂災害により、三崎村で天然ダムが形成されたと言われている。現地調査等の結果、地震により三崎川上流で大規模斜面崩壊が発生し、河道閉塞により天然ダムが形成され、2日後の余震によって天然ダムは決壊し、洪水段波が襲ったと... 続きを読む

安政元年の南海地震

image

安政元年(1854)11月5日、地震により、松山城の本丸石垣、二の丸、三の丸損し、家屋200軒余破損、在家家屋2,600軒倒壊。(「松山叢談」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日昼8ツ時より揺り始め、5日昼8ツ半頃より大地震となり、飛ぶ鳥も落ちんばかりであったと伝えられている。村人は大地震に驚き、沖台に小屋がけをしてここに移り、いったん静まったので家に帰ったが、7日朝4ツ頃からまた大地震となり、再び小屋に... 続きを読む

安政元年の南海地震

image

安政元年(1854)11月5日、M8.4の地震により、松山城、大洲城が破損。道後温泉も止まり、翌年2月23日から再び湧き出す。 続きを読む

安政元年の震火災

安政元年(1854)11月5日の震火災により、城下と下町で家屋1,876軒が焼失した。 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月5日から6日にかけて、大地震があった。「富田有馬右衛門三郎が藩へ報告した記録」によると、「志度浦、津田浦大痛に候へども、怪我人は御座無く候。鶴羽浦御蔵所無事に候。総体山分はゆるやかの事に候」とある。また、「日記風の文」によると、「霜月... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日~14日の10日間にわたる大地震により、瓦は落ち、家は倒れ、土地の亀裂は1m以上に及ぶものもあり、ため池の水は溢れ、山上の岩石は転落して、さらに対岸にはね上がった。川の水は奔流したり、逆流したりして、人々は火を消し、戸を開けて、眠... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、M8.4の南海地震が起こり、津波は房総半島から九州東岸に及んだ。土佐藩主から幕府への報告によると、被害は潰家2,939軒、半潰8,888軒、焼失2,460軒、流失3,182軒、死者372人に及んだ。地盤の変動については、室戸... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海沖の地震により、徳島の沿岸部は多大な被害を受けた。蜂須賀家の編年史である「阿淡年表秘録」によると、発生後11日で阿波国内での被害は石高85,000石余、潰家2,795軒、流失家3,800軒、焼失家3,570軒、死者150... 続きを読む

1 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 251