検索結果

2508件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日7ツ時(午後4時頃)及び7日4ツ時(午前10時頃)に、大地震があった。大地震で倒壊した家の下敷きになるなどして8人が死亡した。また、大地震の際に浜方のあちこちで火災が発生した。さらに、道後温泉では源泉の湯がとまったが、翌年5、6月... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日16時35分頃、地震が発生した。高知県の被害は流家3,818軒、全壊4,815軒、破損家10,289軒、焼失家屋3,301軒、死者372人であった。この地震による被害の特徴は地震の発生時刻が夕方であったため、火災が多かったことと、... 続きを読む

安政元年の土砂災害

安政元年(1854)11月5日、南海地震により、虚空蔵山(こくぞうさん)の光岩が裂けたと伝えられている。(「南海大震災誌」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海大地震、津波により、各所で水筋くるう。(那賀川洪水・災害年表による) 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海道沖大震(M8.4)。/11月5日大地震あり、7日7夜はげしき震動おさまらず人々家を出、雨戸を田圃にしいて揺れの鎮まるを待つ。石に打たれて死するもの相当あり。便所のたまりに「こえ」は一ひちゃくもなくなったと記されている。(「... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日申の刻、大震あり、時々微震は絶えざりしが、夕方に至り雨を催し、最早強震はせざるものと信じて避難者も帰村したるも、なお家には入らず、伊都多神社の境内または路傍等に小家掛けをなし老人小児を寝臥せしむ。 続きを読む

安政元年の地震による火災

安政元年(1854)11月5日申時(午後4時頃)の地震が徳島城下で最も大きな被害をもたらしたのは火災であった。地震の発生が冬であり、本震が最も火を使う夕方(申刻)であったため、地震で倒壊した家屋から出火した。さらに多くの人が津波等の被害を恐れすぐに近隣の山へ逃... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日午後5時頃、地震が発生した。人々はあわてふためいて山辺の藪地に避難するが、強震のため歩行も困難だったという。人家は全く崩壊し、息つく間もなく大津波が押しよせ、奈半利平野は海水が浸水する大惨事となった。藩内の被害は、家屋18,042... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日夕七ツ半時より地大に震う。家屋が倒壊し、多くの人は竹林中に避難す。暮六ツ時に至りて、津波が襲来して家屋を浸潤する処あり。 7日四ツ半また大に震う。その後12月2日まで震動止まず。 続きを読む

安政元年の南海地震

image

安政元年(1854)11月5日、大地震が起こり、上ノ加江では流失家屋が200軒を超え、そのほとんどが浦分であった。船も19艘流失し、残ったのは広野神社くらいであった。久礼でも北村、大川谷、長沢谷、大坂谷方面や大野でも山際まで潮が入り込み、20町歩余の田畑が荒れ... 続きを読む

1 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 251