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条件: 地震・津波

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安政元年6月の地震

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安政元年(1854)6月14日、地震。7月9日、満濃池堤決壊、田畝を多く損なう。(「増補高松藩記」による) 続きを読む

安政元年6月の地震・大雨

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安政元年(1854)6月、地震あり。榎井村の庄屋・長谷川喜平太らが数年を費やして改築した満濃池の樋管から水が噴出し、さらに大雨により漏水が増大して防ぐことができなくなった。7月9日夜に満濃池の堤防が決壊し、那珂郡、多度郡の数村の田は川原と化し、家屋、人畜の損害... 続きを読む

安政元年6月の地震・大雨

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安政元年(1854)6月、地震あり。榎井村の庄屋・長谷川喜平太らが数年を費やして改築した満濃池の樋管から水が噴出し、さらに大雨により漏水が増大して防ぐことができなくなった。7月9日夜に満濃池の堤防が決壊し、那珂郡、多度郡の数村の田は川原と化し、家屋、人畜の損害... 続きを読む

安政元年6月の地震・大雨

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安政元年(1854)6月、地震により満濃池の樋管の側壁から池水が噴出するようになったが、その修理が終わらないうちに大雨があり、7月9日夜に堤防が決壊し、池水が那珂郡、多度郡の両郡(現在の仲多度郡)にみなぎり、数村の緑田は河原となり、家屋人畜の損害が夥しかった。... 続きを読む

安政元年6月の地震・大雨

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安政元年(1854)6月の地震により、満濃池の大樋管の側壁に亀裂が生じて水が噴出し始めた。修理できぬうちに大雨により、ついに樋底からの漏水が次第に増大して、7月9日夜に池の堤防が決壊した。濁流は田を覆い、家は倒壊して流れ、死傷者数知れず、牛馬の命を失うもの傷つ... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)、M8.4の南海地震津波が起こった。瀬戸内海の津波の挙動は、東の紀淡・鳴門海峡ならびに西の豊予海峡から侵入する津波の特性により規定されると考えられる。本研究では、宝永(M8.4、1707年)、安政(M8.4、1854年)、昭和(M8.0、1... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、地震により、宇和島藩、吉田藩ともに、各地で津波が発生して大惨事となった。明浜町でも、家屋の倒壊や死傷者が発生した。この時の犠牲者の霊を弔うために、里人たちが俵津の山の庵寺に、お地蔵様を奉納してお祀りをしている。 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)、南海地震が発生した。徳島市南沖洲の蛭子神社境内には、地震後建立された百度石がある。石の劣化がひどいが、「蛭子神社記」によると、津波が来るからといって船に乗って逃げてはいけないこと、冷静になって火を消すこと、百年しないうちに南海地震が再び発... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、寅年の大地震。道後の湯が一時閉塞。(「田野村誌」等による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、連続4日間にわたる地震が起こり、多数の住民が竹やぶ等に小屋を建てて避難した。 続きを読む

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