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条件: 渇水

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明和8年の水論

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明和8年(1771)6月8日、南神崎・徳丸・出作・宮之下・八倉の下5ヶ村の農民700人余が古樋井手の筧を引き落としたため、上・下麻生村勢200余名との間で乱闘になった。この矢取川の乱闘で下5ヶ村側に死者2人と多数の負傷者が出た。天領が含まれていたため、関係者が... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(「野村町郷土誌」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(「伊予温故録」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつで、163日間雨が降らなかった。田植えができず、畑作に転換する者も出た。田植えした稲も立枯になるという状況であったが、その後の降雨により立枯寸前の稲も活着し、安堵した。 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)の大干ばつにより、下麻生村組頭の窪田兵衛門が死罪を受けるという大水論が起こったことを契機として、伊予市八倉・宮下及び松前町徳丸・出作の共有泉である赤坂泉がつくられた。赤坂泉は、市ノ井手の取水量確保のため、釣吉村庄屋の阿部万左衛門が安永3年(... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)夏、干ばつにより、損毛田3,213石余、畑1,443石余。(「吉田藩」による)6月大に旱す、当年の干害42,343石。(「記抜」による)凶作2年連続、飢に廻り城下で乞食するもの多し。(「清家日記」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、三島川原、八幡河原、来応寺前で雨乞い千人踊。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)5月27日、阿野郡北によって滝宮神社と滝宮天満宮で雨乞い踊りが奉納されており(「瀧宮念仏踊記録」による)、干ばつであったことが推察される。 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。2年続きの干ばつのため、住民の生活は困窮した。 続きを読む

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