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条件: 渇水

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宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、宮ノ下村以下5村、麻生村と水論。(「砥部町誌」、「大洲旧記」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

宝暦11年の干ばつ

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下・上野・八倉・徳丸・出作の各村と麻生村との間に水論。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦10年の干ばつ

宝暦10年(1760)6月、7月、干天。(「高松藩記」による) 続きを読む

宝暦10年の干ばつ

宝暦10年(1760)夏、干ばつ。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

宝暦10年の干ばつ

宝暦10年(1760)夏、干ばつ。(「庄屋記録」、「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

宝暦10年の干ばつ

宝暦10年(1760)夏、干ばつ。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

宝暦10年の干ばつ

宝暦10年(1760)、干ばつ、虫付による損毛届8,315石余。(「国府叢書」による) 続きを読む

宝暦10年の水論

宝暦10年(1760)、高井村南分が五反地に新泉(五反地泉)の開鑿に着手したのに対し、北分の農民が野都合泉の湧出量に影響するという理由で反対し、水論が起こった。両者折衝の末、五反地東端部の泉敷を埋め立てることで和解した。 続きを読む

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