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条件: 渇水

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正保2年の干ばつ

正保2年(1645)、大干ばつとなった。 続きを読む

正保2年の干ばつ

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正保2年(1645)、春から秋まで雨が降らず、未曾有の干ばつとなった。この干ばつを機に、藩主松平頼重は矢延平六らにため池を築かせた。矢延平六がつくった池は、城池、大窪池、楠見池増築、仁池、小津守池、大谷池、新池など100を数えたという。 続きを読む

正保2年の干ばつ

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正保2年(1645)春から秋まで、雨が降らずに未曾有の干ばつとなった。このため、高松藩主松平頼重は家臣矢延平六らに命じてため池406を築かせたが、その一つが大窪池であった。領内の池は従来の960と合わせて1,366になった。 続きを読む

正保2年の干ばつ

正保2年(1645)、大干ばつ、新池406を築いた。(高松藩の災害記録) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月下旬から6月下旬まで降雨なく、五穀実らず、秋より冬に至り餓死者街に満つ。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月下旬から6月にかけて雨降らず、干ばつ。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月から6月まで、雨降らず凶作。秋から冬にかけて餓死者が多く出た。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月下旬から6月下旬まで雨が降らず、五穀が実らないため、秋から冬にかけて餓死者を多く出した。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月下旬から6月下旬まで雨なし。秋から冬にかけ、餓死者多数。(「高松藩記」、「庄屋記録」、「讃岐国大日記」による) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月上旬から6月中旬まで雨降らず、秋より冬にも及ぶ。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

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