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595件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 火災

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安政3年の火災

安政3年(1856)1月18日、名西郡阿川村神の木で火災、19戸焼失。(神山町の佐々木文書による) 続きを読む

安政3年の火災

安政3年(1856)正月18日朝4ツ時(午前10時頃)から9ツ時(正午)まで、名西郡阿川村神木で火災があり、竈19軒が焼失した。(「萬覚帳」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、安政南海地震が発生した。これまで安政南海地震による鳴門市周辺の被害実態は十分には明らかにされていなかったが、平成19年(2007)に鳴門市撫養町で安政南海地震の被害状況を記した古文書「四国地震記」が発見された。この記述者は当時医... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、前日の東海地震の32時間後に南海地震が発生した。津波により、牟岐では波高3丈(9m)、死者20人、宍喰では波高2丈(6m)、橘では波高18尺(5.5m)、流失家屋134戸、小松島では1,000軒のうち倒壊、火災、津波により残った... 続きを読む

安政元年の地震による火災

安政元年(1854)11月5日申時(午後4時頃)の地震が徳島城下で最も大きな被害をもたらしたのは火災であった。地震の発生が冬であり、本震が最も火を使う夕方(申刻)であったため、地震で倒壊した家屋から出火した。さらに多くの人が津波等の被害を恐れすぐに近隣の山へ逃... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、地震が始まった。11月5日には徳島で約1,000戸が焼失して、約200人が死に、小松島でも大火があり、海部地方に津波害のあったことが三好町足代の教法寺過去帳に残されている。また、板野郡誌は岡崎(鳴門)で3割の家が潰れ、2割が焼失... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日~5日、大地震が起こった。阿波国には安政大地震に関する旧記録は少ないが、野田定五郎氏の記録によると、11月4日四ツ時、大地震が始まり、翌5日夕暮れ7ツ時には大地震が起こり、北方では土地が割れ8尺から1丈砂を吹き出すことが所々であっ... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こった。さらに32時間後の5日午後4時頃、同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、地震とそれに伴う津波によって甚大な被害が起こった。海部郡由岐浦では205戸のうち199戸流失、死... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日から5日夜にかけて大地震があり、徳島城下と勝浦郡小松島村では大火が発生し、海部郡はじめ沿岸の浦村では津波の被害を受けた。被害は甚大で、「蜂須賀家記」には「封内の人家倒るるもの三千余、海部郡諸浦海溢れ、慮舎漂没し、人畜多く死す」と記... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日の大地震により、津波が1丈4、5尺の高さで撫養に襲来し、藍田や人家に浸水し、多くの船が破損した。被害の最も多かったのは岡崎で、家が潰れたり焼けたりした。人々は近くの山々へ避難したが、岡崎では20人の流死者が、高島では子供1人... 続きを読む

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