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条件:徳島県 風水害
安政4年(1857)7月29日から降り始めて、8月1日に豪雨となったので、「八朔水」という。旧吉野川の破堤で、大麻町板東の津慈、川崎、三俣方面が浸水したのをはじめ、川内町も鈴江の堤防が切れて別宮川から浸水、305戸が倒壊した。この時は風も強く、三好郡池田町では... 続きを読む
安政4年(1857)7月29日から大暴風雨となり、潰家多く、怪我人が多数出た。足代村の教法寺の記録には「三好地方の里人も頗る肝をひやした」と記されている。また、辻風土記には「七月二十九日四ツ時から吹き出して八月朔日朝五ツ時分まで意外の大風雨が打ち続いたので、前... 続きを読む
安政4年(1857)7月29日、八朔水という。(「徳島県史料年表」による)/4ツ時から吹き出し、翌朝5ツ時まで大風雨。(「辻風土記」による)/晦日諸方新田堤大荒、鈴江村地盤切処繕いしが、丸切となり鈴江、鶴島、宮島、沖島4ヶ村田地入水し、大松村は中堤にて一向入水... 続きを読む
安政4年(1857)7月29日4ツ時から吹き出して、8月朔日朝5ツ時分まで、大風雨が打ち続き、50年来の大洪水となった。「八朔水」という。中村浜側から野津後島一帯、辻町家の浸水あり。(「辻風土記」による) 続きを読む
安政4年(1857)7月29日、八朔水。当処様より御助銀201貫730目下さる。(「吉野川事典」、「馬路川洪患志」、「辻風土記」、「三好郡志」等による)(吉野川の災害史年表) 続きを読む
安政4年(1857)7月29日4ツ時から吹き出して、8月朔日朝5ツ時まで大風雨が打ち続き、50年来の大洪水ということから「八朔水」と言い伝えられている。中村浜から野津後島一帯の辻町の家に浸水があった。 続きを読む