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条件:愛媛県 風水害
昭和18年(1943)7月21日~24日、台風により不連続線の活動が活発になり、九州東海岸、四国及び中国地方は記録的豪雨となった。特に愛媛県では降雨が激しく、その中でも南予地方の降雨量が多く、21日~24日の宇和島の総降水量は942ミリに達した。このため、岩松... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~23日、台風による豪雨のため、重信川で堤防が決壊し、浸水家屋12,000小、耕地の流失などの大被害が発生した。既往最大洪水であった。また、大洲平野も大水害となった。 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日までの4日間、豪雨が降り続き、その雨量は松山で540ミリ、川上で800ミリに達した。この豪雨により重信川は増水し、23日午前9時に北伊予村徳丸の左側堤防が、続いて拝志以下6箇所の堤防が決壊し、濁流は拝志村、荏原村、北伊予... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から26日まで降り続いた大雨により、僧都川の堤防は2箇所崩壊し、濁流は城辺市外に流れ込んだ。民家はすべて床上浸水となった。水稲の被害も甚大であった。また、7月22日の夕方には、久良真浦の後の山が崩れ、民家6戸をつぶし、警防団員4... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から24日まで、台風による豪雨が続き、肱川、重信川など各河川の氾濫や山崩れ等により大災害となった。特に肱川上流では700~900ミリを超す降雨があったため、大洲町では明治19年(1886)以来の出水量を記録し、大洲平野は泥海と化... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から24日まで、台風による豪雨が続き、松山地方の年平均雨量の5ヶ月に相当する540ミリの雨量となった。23日朝には重信川出合水位観測所で6.20mを記録し、午前9時には北伊予村(現松前町)徳丸地先の左岸堤防が決壊し、続いて7箇所... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から24日にかけて降雨が続き、各地で記録的な豪雨となった。4日間の降雨量は宇和島で940ミリ、松山で540ミリ、東予地区で300~400ミリであった。八幡浜、松山、今治間の鉄道も不通となり、大洲盆地は一大湖水と化した。この時、宮... 続きを読む