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条件:高知県 風水害

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寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月、大出水により、小村神社の石巻上30cm浸水した。日下田丁に立毛なく、収穫皆無となる。(植田文書-寛文雑記) 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月、洪水。 続きを読む

寛文6年の台風

寛文6年(1666)7月、台風が三次にわたって襲来したらしく、土佐藩の被害は回復不能の田地約1,400町歩、破壊された井堰・川除(堤防)約9,000箇所、損壊家屋6,000戸余に達した。仁淀川流域の被害は特に激甚であり、集落の移転は長期にわたった。藩は、本田の... 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月、洪水により、土佐一帯の被害は死者151人、損米81,300余石。 続きを読む

寛文6年の風雨

寛文6年(1666)7月、風雨、洪水により、七郡損毛流失夥しく、田畑の損害81,300余石、死傷者151人に及んだ。百姓年貢を4分6と定めた。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月、洪水。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月、洪水により死傷者151人、田畑の損耗81,300余石。 続きを読む

寛文6年の台風

寛文6年(1666)7月、大暴風雨により、洪水となった。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)、大洪水。田村でも被害が相当あった様子であるが、特筆するだけのまとまった資料がない。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)、洪水、田畑3万石水害を被り、男10人、女27人、牛馬579匹溺死、民屋2,037軒、舟17隻流亡。(「徳川実紀」による)/大風雨、大川筋小川谷々つえ埋まり、大川筋皆流失、人牛馬流死、中村下町大堤防切れ家一軒も残らず、町は川原となり死人夥し... 続きを読む

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