3932件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 風水害
昭和47年(1972)7月5日、前日から降り続いた雨は天坪で741ミリ、槙山で341ミリ、別府で598ミリ、和久保で459ミリとなり、繁藤では61人の死者を出し、物部川でも香我美橋の橋脚が陥没して通行不能となり、山田堰も明治25年以来の被害を受けた。被害状況に... 続きを読む
昭和47年(1972)7月5日、南国市の北部地区で豪雨となった。土佐山田町繁藤では、一日741ミリ、一時間最大100ミリ近くの豪雨に見舞われ、行方不明の消防団員の捜索作業にあたっていた消防団員ら200人のうち、二度目の大崩壊のため60人が死亡、行方不明となる大... 続きを読む
昭和47年(1972)7月4日夕刻から、高知県は局地的な豪雨に見舞われた。土佐山田町繁藤の追廻山が崩壊し、死者58人、行方不明2人の災害が起きた。須崎地方でも5日7時23分に大雨洪水警報が発令されたが、高陵病院付近の排水路からの水のあふれや国道56号栄町三叉路... 続きを読む
昭和47年(1972)7月4日~5日、梅雨末期の豪雨のため、土佐山田町繁藤で大規模な山崩れが起こり、県内の死者は61人に及んだ。須崎市では、国道56号栄町三叉路付近で冠水し、竹ノ川、城山公園登り道でがけ崩れが発生した。 続きを読む
昭和47年(1972)7月4日、豪雨により、県下の被害は死者60人、行方不明1人、負傷者13人、全壊15棟、半壊24棟、床上浸水578棟、床下浸水5,534棟、公共施設等の物的被害57億5,636万円余に及んだ。 続きを読む
昭和47年(1972)7月4日~6日、集中豪雨により、死者61人、負傷者7人、住家の全壊12世帯、半壊12世帯、床上浸水521世帯、床下浸水2,315世帯の被害が出た。土佐山田町、野市町、安芸市に災害救助法が適用された。 続きを読む