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19565件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、旧大洲町肱北地区で肱川の堤防が決壊し、新町・若宮地区に多大な被害を与えるとともに、大洲盆地全域を泥海と化した。現在の大洲市域の被害は死者28人、住家の流失7戸、全壊74戸、半潰103戸、床上浸水3,872子、床下浸水477戸等に及ん... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、吉野川で大洪水。 続きを読む

昭和18年7月の台風

昭和18年(1943)7月、台風。(宇和島測候所による) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、肱川の洪水のため、大洲市本町一帯が水浸しになった。 続きを読む

昭和18年の大雨

昭和18年(1943)7月、大雨が数日降り続き、僧都川の堤防が城辺地区で2箇所大きく決壊し、御荘町でも観栄橋付近で土手が崩れ、和口橋や観栄橋も流失し、田地が浸水したり、土砂に埋まるなど被害は甚大であった。菊川地区では、軍用資材の切り出しが行われていたため。各所... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、肱川の大洪水により、大洲盆地で大氾濫が起こり、死傷者131人、流失家屋554戸、床上浸水6,940戸など未曾有の被害が発生した。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、重信川の南堤防が決壊して、拝志村は未曾有の大水害を蒙った。(東温市の水利年表) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、大洪水。(吉野川治水年表による) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月21日から24日までの4日間に、肱川流域では宇和町で755ミリ、小田町で406ミリと1年分の雨の3分の1が降った。また、この頃、山では軍用材供出のために伐採が続けられ、山は保水力を失っていた。このため、支流の水がすべて集まる大洲は8.... 続きを読む

昭和18年の豪雨

昭和18年(1943)7月21日から24日にかけて降雨が続き、各地で記録的な豪雨となった。4日間の降雨量は宇和島で940ミリ、松山で540ミリ、東予地区で300~400ミリであった。八幡浜、松山、今治間の鉄道も不通となり、大洲盆地は一大湖水と化した。この時、宮... 続きを読む

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