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19565件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月23日、24日、大雨降り続き、則之内、丘の奥が山津波を起こし、池をつぶしたため、被害が一層甚大となり、丘一円の耕地を埋没し県道にまで及ぶ。この水害で、村内の木橋は悉く流失し、田地が多数流失する。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月23日、台風により、松山地方では4日間で年平均雨量の5ヶ月分にあたる540ミリの雨に見舞われ、当時の既往最大の洪水が発生した。被害は堤防決壊8箇所、氾濫面積2,000町歩(1,980ha)、浸水家屋約12,500戸に及んだ。(重信川の... 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月24日、台風が豊後水道を急速に北上した。21日~24日の雨量は須崎で500~800ミリ、大正959ミリ、梼原894ミリ、東津野1,120ミリ、大野見914ミリ、窪川773ミリとなった。県下の被害は死者5人、負傷者3人、行方不明4人、家... 続きを読む

昭和18年7月の台風

昭和18年(1943)7月24日、台風の衰えたものが愛媛県を北上した。徳島県の雨は台風が南方にある18日から始まり、多雨地では20日から100ミリ以上の日雨量を計測し、特に24日~25日は400ミリ以上の所があった。総雨量は最多域の那賀川中流から下流にかけて8... 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月24日、台風。(「徳島県災異誌」、「徳島県警察史」による) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、三日三晩降り続いた雨は松山測候所で530ミリ、喜多郡では700余ミリと推定された。大洲・喜多郡内の被害は死者34人、行方不明11人、流失・全壊の住家234戸、流失・全壊の非住家394戸、半壊の住家・非住家345戸、床上浸水5,... 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月24日、豊後水道を北上した弱い台風(992ミリ)。雨が多く、4日間で須崎で500~800ミリ。 続きを読む

昭和18年7月の風雨

昭和18年(1943)7月24日~26日、風雨、出水。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、低気圧、不連続線により肱川で洪水、増水量8.60m。(県の量水標による)/肱川水系内の被害は死傷者131人、流失家屋554戸(非住家含む)、全壊家屋396戸(非住家含む)、田畑の流失・埋没1,626.7町、床上浸水6,940戸... 続きを読む

昭和18年7月の台風

昭和18年(1943)7月24日の台風により、被害が出る。24日17時の具同水位は9.45m。(「渡川改修四十年史」による) 続きを読む

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