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19565件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月21日、出水2丈3尺。(大洲領の災害) 続きを読む

慶応2年8月15日の大雨

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慶応2年(1866)8月15日、大雨。真覚寺日記には「九ツ頃より雨降り出す。夜中大雨、浪高し。16日新居川又出水、往来留という。浪も高し。夜九ツ頃月触明かに見ゆる」と記されている。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月15日、鏡川の雁切橋付近の堤防が大破して田畑に浸入した洪水と、五丁目南の霞堤から浸入した洪水が思案橋から北に流れ、井口・小高坂の家屋は深く浸水した。江の口もかなりの浸水家屋があった模様である。 続きを読む

慶応2年8月12日の高波

慶応2年(1866)8月12日、風波高く、宇佐の海岸崩壊する。/史料掲載:「晴雨日記」 続きを読む

慶応2年8月の洪水

慶応2年(1866)8月9日、10日、甚雨、出水。(「中村町風水害史」による) 続きを読む

慶応2年8月7日の洪水

慶応2年(1866)8月7日、洪水。(「伊予風水害小史(宇和島覚書)」による)/8月6日、7日、暴風雨、大洪水、東新地方で被害殊に多し。(「新居郡誌」による) 続きを読む

慶応2年8月の台風

慶応2年(1866)8月7日、暴風雨、洪水。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月1日から昼夜を分かたず降り続いた大雨は、7日夕方ついに未曾有の大洪水となった。これが今も洪水史に残る「寅の水」である。徳島市国府町の蔵珠院には、洪水痕跡が残されている。茶室や板戸に残された染みは床上浸水2尺に及び、被害状況を記録した過去... 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月7日、吉野川洪水により、北島・西川田舟戸間の堤防が切れ、溺死者数十人に及んだ。「寅年のあほお水」と呼ばれた。(「川田町史」による) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月7日、8日、大風、洪水。8月1日より降り始め、7日より8日にかけて、大暴風雨、堤防決壊、橋梁流失夥し。寅年の大水という。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

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