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19565件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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享保19年の洪水

享保19年(1734)、洪水のため、神田、庄、波田で立岩川の土手が切れた。その後も土手が切れるたびに、付近の住民は普請をしたが、立岩川の治水は年貢負担に並ぶ重荷となった。このため、庄屋らは郡普請の対象として工事費の面倒を見てほしいという請願を行った。(「北条高... 続きを読む

享保19年の強雨

享保19年(1734)、強雨。(愛媛県災害年表) 続きを読む

享保19年の大雨

享保19年(1734)、大雨により、吉田藩の損毛は田1,480石、畑608石、合計2,088石に及んだ。また、この年には別の風雨により、吉田藩の損毛は田2,852石、畑1,035町、合計3,887町に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享保19年の洪水

享保19年(1734)、中島に水入り、殊の外大荒れ。(「兵助日記」による) 続きを読む

享保17年の風雨

享保17年(1732)9月28日、風雨、洪水、雷鳴。(高知県災害異誌」による) 続きを読む

享保17年の洪水

享保17年(1732)閏5月10日、石手川の大洪水により、松山全市が浸水し、持田方面にかけて被害が出た。 続きを読む

享保17年の洪水

享保17年(1732)閏5月10日、出水。7月1日、ウンカ駆除祈祷各地に執行。7月13日、稲枯れ野に青色なし。袖乞市に満つ、伊予郡の者多し。筒井村作兵衛餓死す。松山領内にて死者4,780余人を出す。12月19日、領主定英、差控を命ぜらる。(「松山叢談」による)... 続きを読む

享保17年の洪水

享保17年(1732)閏5月10日、雨が打ち続き諸川で出水、郡役人その他がそれぞれ水防場所に罷り出る。久米郡和泉村の池等が所々損壊、温泉郡畑寺村大洲原池堤が切れる。その他川筋では大損害はなかったが、堤が切れ田に砂入、水押数々あった。(「松山叢談(西岡家記)」に... 続きを読む

享保17年の洪水

享保17年(1732)、春来降雨多く、閏5月10日出水、7月1日うんか駆除、祈祷各地で執行。9月23日筒井村の作兵衛餓死。松山領内で死者4,780人余。 続きを読む

享保17年の洪水

享保17年(1732)5月20日より、天候不順となり霖雨続き、重信川が氾濫した。続いて、6月初めよりウンカが発生した。このため、農作物は収穫皆無となり、穀類は高騰し、松山藩内の餓死者数は、享保17年11月29日の幕府への届け出によると、3,589人に達した。伊... 続きを読む

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