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条件: 風水害

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元和6年の洪水

元和6年(1620)8月、大洪水の時、藩の奉行は石手川の北岸が危険と見て、川南の樽味村得能寺付近の堤防を切ったため、小坂、中村、橘村、朝生田、市坪等に濁流が流れ、田地は免租地となった。 続きを読む

元和6年の大雨

元和6年(1620)7月3日と8月4日に大雨があり、河川が流れを変えた。(「久万山手鏡」による) 続きを読む

元和6年の大雨

元和6年(1620)7月3日と8月4日に大雨があり、河川が流れを変えた。(「久万山手鏡」による) 続きを読む

元和6年の洪水

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元和6年(1620)6月、洪水により、市の坪が全部浸水した。石手川のつけかえ直後は市の坪に被害が集中した。市の坪の郷士安長九郎左衛門は財産を投げ出し、自力で堤防を修築した。さらに、延宝6年(1678)には、藩の援助を受け、堤防の復旧工事を行った。この時の堤防が... 続きを読む

元和6年の洪水

元和6年(1620)6月、大出水。 続きを読む

元和6年の洪水

元和6年(1620)、大洪水により、市坪村は永川となった。(「余土村誌」による) 続きを読む

元和6年の洪水

元和6年(1620)、吉野川大水。(「山川町史」、「徳島年鑑」、「丹兵衛日記」、「住友家記録」、「徳島県史」、「吉野川のあゆみ」、「世界善悪年代記」による) 続きを読む

元和4年の洪水

元和4年(1618)8月4日、大出水。 続きを読む

元和2年の洪水

元和2年(1616)、大洪水により、中山川筋が大破、家や人が漂流。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による)また、田野村「野口庄屋文書」では、この時の洪水により、光下田にあったと言われる道萬寺や人家、田地が流失したことを伝えている。 続きを読む

元和2年の洪水

元和2年(1616)、大洪水により中山川が大破し、民家が漂流し、死者が多数出た。また、田野上方の道満寺が流失した。川根谷の出水で高松へ押し抜き、川口が潰れ、入津出船が止まった。(「田野村誌」等による) 続きを読む

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