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条件: 風水害
大正9年(1920)8月3日夜から4日朝にかけて、台風が四国沿岸を通り紀州田辺に上陸し、1日~3日の雨量は和食430ミリ、朴野347ミリ、神野345ミリを観測した。また、15日朝、台風が西四国南部から広島方面に抜け、14日~16日の雨量は和食474ミリ、朴野7... 続きを読む
大正9年(1920)8月3日夜から4日朝にかけて、台風が四国沿岸を通り紀州田辺に上陸し、1日~3日の雨量は和食430ミリ、朴野347ミリ、神野345ミリを観測した。また、15日朝、台風が西四国南部から広島方面に抜け、14日~16日の雨量は和食474ミリ、朴野7... 続きを読む
大正9年(1920)8月、豪雨による大洪水のため僧都川が氾濫し、観栄橋を含むほとんどの橋が流された。城辺でぎおん祭りの斗牛がひらかれていたが、集まっていた人たちが帰るのに、橋が流されて困ったということから、いかに急な洪水であったかが分かる。郡内各地で大きな被害... 続きを読む
大正9年(1920)8月、台風により、中村町の被害は全壊4戸、流失1戸、田畑111町歩、桑園56町歩、橋梁流失2箇所であった。幡西、渭南地方の惨状は甚だしく、特に宿毛町の松田川堤防が決壊して、人家の流失、人馬の溺死が多かった。軍歌の罹災範囲は30カ町村に及び、... 続きを読む
大正9年(1920)7月29日、大洪水により、田畑の流失68町歩、死者1人。 当時小学校3年生の洪水体験記が「加州幸吉手記」に残されている。大正2年の洪水で川原となった田を5年間かけて復旧したのに、また洪水により濁流が稲田に流れ込み、一家が破産した様子、貧乏暮... 続きを読む
大正9年(1920)7月29日、一本松村で大洪水となり、田畑の流失68町歩、死者1人の被害が出た。一本松村では、大正2年(1913)の洪水で被害を受けた田畑を5年間かけて復旧していたが、今回の水害で再び大被害を受けた。 続きを読む