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19565件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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大正7年の台風

大正7年(1918)8月30日午前2時すぎ、暴風雨により、大阪から中国大連に向かっていた愛宕山丸(3,946トン)が志度町小田釜居谷の岩礁に座礁した。 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月30日、暴風雨により、家屋流失1戸、倒壊16軒、道路の崩壊38箇所、復旧見積2,600余円に及んだ。 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水。当時7歳の人が書いた手記が掲載されている。この手記には、洪水時に流木や牛が流れていた様子や、小学校の教室の壁には浸水の跡が残っていたこと、洪水後の稲刈り中に流された死者が田んぼで発見されたこと、洪水後に那賀川改修工事が要... 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水、木材流失他被害甚大。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月30日、前日来の暴風雨により、那賀川、岡川が氾濫し、那賀川筋は横見で120間、柳島で100間、岡川筋は柳島南別当で30間にわたり堤防が決壊した。稲作はほとんど皆無に近く、田地の荒れ地は100町余となり、溺死者数名を出した。 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水により、木材流失他被害甚大。(「徳島県災異誌」による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月29日、台風により那賀川の水量は2丈5尺に及んだ。古毛では堤防の上から手が洗えるほどまで増水し、下の方の堤防が切れかかったので、地元の人々が全力を挙げて堤防に杭を打って守った。堤防はうねっていたが、右岸側の破堤により、間もなく左岸側の水... 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により、日雨量は福原408ミリ、朴野335ミリ等を観測した。このため、那賀川は大洪水となり、最高水位(宮浜で20.6m、古庄で6.2m)に達した。 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、前日来の暴風雨が洪水を引き起こし、その夜は水量が2丈5尺に及んだ。西原以東中島の堤防はうねりにうねって危なく見えたが、急に減水したため、格別の被害はなかった。翌朝になって、この減水は、上流対岸の柳島、横見、下大野の破堤の結果であ... 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日~30日、暴風雨により、県下の被害は死者23人、行方不明3人、負傷者3人、全壊家屋375戸、船破壊33隻、堤防決壊116箇所、田畑浸水9,650ha、橋流失12箇所に及んだ。(多度津測候所・高松気象台・香川県の調査統計書、誉水村議... 続きを読む

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