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条件:徳島県

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慶応2年の洪水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となった。園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、約50間破堤した。多数の死者を出し、大坪・新貝の田んぼは土砂で埋没した。寅年の洪水と言われる。 続きを読む

慶応2年の台風

慶応2年(1866)、馬路川で大洪水。佐野で数戸が流失した。馬路川の井堰は悉く流れて、翌春に若鮎が佐野まで遡上した。(「馬路川洪患志」による) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)、豪雨により徳島平野全域が大洪水に見舞われた。別名「寅の大水」と言われる。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)2月8日、那賀川大洪水、那賀川下流の土手切れる。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

慶応2年5月の洪水

慶応2年(1866)5月14日、大水。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から8月初めにかけての吉野川の大洪水は、「寅の水」と言われ、讃岐山脈の裾野から四国山地の裾野まで見渡す限りの水面であったという。徳島市国府町の蔵珠院に水害の記録と痕跡が残されている。同寺の過去帳には、国中で37,020人の男女や牛馬な... 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月、台風のため、那賀川及び桑野川では堤防決壊等により甚大な浸水被害が発生した。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月、昼間土居では7、8尺の所にある梨の木に船をつなぐという前段未聞の大水となった。寅の水と言われる。(「三好町誌」による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水。徳島市国府町の蔵珠院の板戸には洪水痕跡が残されている。同寺の過去帳によると、痕跡は座上2尺で、檀家32人が溺死したという。山門前には洪水痕跡碑が建立されている。 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)7月1日からの大風雨で、6日、7日は前代未聞の洪水となり、七夕水と名付けられた。那賀川の洪水は大きく、桑野川の堤防が富岡の下で切れ、見能方から打樋に流れ、此所で堤防が決壊し、流失家屋の被害が出た。農作物の被害も甚大だったようであるが、洪水が... 続きを読む

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