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条件:徳島県

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明治25年の洪水

明治25年(1892)7月23日~24日、吉野川(現旧吉野川)及び別宮川(現吉野川)より奥野村、徳命村、東中富村、本村、成瀬村、竹瀬村が浸水した。特に徳命村の破堤箇所や東中富村の無堤箇所からの土砂の流入により、田畑の損耗、家屋倒壊、道路・橋梁の損壊等の被害が出... 続きを読む

明治25年の台風

明治25年(1892)7月23日、田野々では連日の豪雨のため旭川が氾濫し、葛又山(こずまたやま)の大崩壊のため葛又地区は全滅した。また、瀬津では川の水の高さが1丈余尺に達し、午後8時に府殿ごぼざこ山塩が湧出して下々の谷筋の田畑10余町程が流失した。さらに、高畑... 続きを読む

明治25年の高波

明治25年(1892)7月23日午前5時頃、海嘯が襲来し、護岸の堤防を越えた。西部の榎瀬・中島両村や鈴江、別宮では一時の浸水にとどまったが、東に向かうほど水溜まりの期間は長期化した。各所で仮潮止工事を行ったため次第に減水したが、平石村の東部ではおよそ7日滞水し... 続きを読む

明治25年の保瀬ぎれによる洪水

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明治25年(1892)7月25日午前10時頃、川上村大字平井の保瀬の右岸山上が大崩壊して海部川の水を堰き止めた。下流では、自然ダムの崩壊に備えて、女子や家財を安全な場所に待避させ、堤防に土俵や古畳を積み上げて補強し、鉄砲持ちに緊急合図用の空砲を持たせて見張りに... 続きを読む

明治25年7月25日の山崩れ

明治25年(1892)7月25日、那賀郡宮浜村で山崩れ。/7月の風水害及び土砂災害では、死者329人(男199人、女130人)、負傷者70人(男48人、女22人)、牛馬死亡45匹、家屋の流失・全壊3,349戸、半壊2,486戸、床上浸水21,890戸、床下浸水... 続きを読む

明治25年の赤土水

明治25年(1892)7月25日、高磯山が崩れて那賀川を堰き止めたため、下流の中野島村付近は数日流水がなくなるほどとなり、村人は岡山や富岡山に避難した。夜中になって赤土山が一時に押し寄せ、堤防を越えて流れ、床上浸水の家は100軒以上に及んだ。 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日、台風による豪雨のため、高磯山(標高611m)が崩壊し、流出した約400万立米の土砂は対岸の春森、久米鍛治の集落をのみ込み、崩壊家屋15戸、死者65人の被害が出た。崩壊した土砂は那賀川を堰き止め、総湛水量7,250立米(長安口ダ... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日午前11時または正午頃、台風に伴う集中豪雨により、下木頭村大戸の高磯山が大規模に崩壊した。このため、荒谷及び春谷の人家10数戸、60余人を埋没させた。崩壊土砂は那賀川を堰き止め、天然ダムの湛水は1時間に2尺に割合で上昇した。崩壊... 続きを読む

明治25年の保瀬の崩壊

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明治25年(1892)7月25日午前10時頃、川上村大字平井の保瀬の右岸山上が大崩壊した。山の土砂が海部川を堰き止め、洪水は逆流し、寒ヶ瀬一帯は濁流に襲われた。この大崩壊のため、埋没4戸、洪水による流失8戸、死者47人を出した。この災害は、大戸の崩壊とともに徳... 続きを読む

明治25年の保勢の崩壊

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明治25年(1892)7月25日、台風に伴う集中豪雨により、海部川中流右岸の保勢(保瀬)で大規模崩壊が起こり、4戸が埋没し、住民11人と山稼ぎ人36人が生き埋めとなった。崩壊土砂は河道を閉塞し、巨大な天然ダムを形成したため、湛水によって8戸が流出し、9人が水死... 続きを読む

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