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条件:徳島県

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大正3年の火災

大正3年(1914)、原因不明の火災により大和製綿工場の精錬工場・包装工場・居宅・近隣約30軒が類焼。戸数数百軒ほどの羽ノ浦村浦川としては大火災であった。 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、昨年と同じく、大旱。8月3日より3日間総雨乞い、また8月14日より3日間にも総雨乞いを行った。 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、大干害により植え付けできず、作物も枯れ大凶作。(新聞記事による) 続きを読む

大正3年~4年の多雨

大正3年(1914)、前年11月、12月は多雨少照で、本年に入ってもその傾向があり、気温も高めで、麦作に影響が大きく、大麦、裸麦、小麦は明治36年以来の低記録となった。 続きを読む

大正3年の多雨

大正3年(1914)、暖冬と多雨のため、麦作は明治36年(1903)に次ぐ被害を受けた。 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、旱害により、新野町では豊田区域で田57町余、荒田野区域で田7町余、畑2反余、甘枝区域で田45町余の合計110町余が被害を受けた。 続きを読む

大正3年の洪水

大正3年(1914)、大洪水。(「吉野川事典」、「馬路川洪患志」、「辻風土記」、「三好郡志」等による)(吉野川の災害史年表) 続きを読む

大正3年~4年の多雨

大正3年(1914)、前年11月、12月は多雨少照で、本年に入ってもその傾向があり、気温も高めで、麦作に影響が大きく、大麦、裸麦、小麦は明治36年以来の低記録となった。 続きを読む

大正3年~4年の多雨

大正3年(1914)、前年11月、12月は多雨少照で、本年に入ってもその傾向があり、気温も高めで、麦作に影響が大きく、大麦、裸麦、小麦は明治36年以来の低記録となった。 続きを読む

大正2年の水争い

大正2年(1913)8月、高井堰の用水が不足し、水田に亀裂をきたす状態になったのを見かねて、藤ヶ井堰の余裕水を供給しようとした。しかし、藤ヶ井堰からの供給は、森国堰と利害相反することとなり、三つの井関関係者間に水争いが起き、富岡警察署長立ち会いのもと、ようやく... 続きを読む

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