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条件:徳島県

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明治25年7月22日の風雨

明治25年(1892)7月22日~23日、風雨、出水。/7月の風水害及び土砂災害では、死者329人(男199人、女130人)、負傷者70人(男48人、女22人)、牛馬死亡45匹、家屋の流失・全壊3,349戸、半壊2,486戸、床上浸水21,890戸、床下浸水1... 続きを読む

明治25年7月の洪水

明治25年(1892)7月22日より24日にかけて那賀川水系は暴風雨となり、午後11時の那賀川筋水量は約1丈2尺(約3.6mの水高)。25日には引き続き暴風雨となり那賀川上流の木頭村で山腹崩壊し、27日午後5時30分には堆積した土砂が一大決壊して、下流の古毛・... 続きを読む

明治25年の洪水

明治25年(1892)7月22日、大洪水があった。 続きを読む

明治25年の洪水

明治25年(1892)7月、洪水、県下で死者329人。(「吉野川事典」、「馬路川洪患志」、「辻風土記」、「三好郡志」等による)(吉野川の災害史年表) 続きを読む

明治25年7月の高潮

明治25年(1892)7月の暴風雨により、板野郡の海岸線では高潮の被害が大きかった。川内、松茂、大津、撫養、里浦で被害が出ており、松茂の豊岡新田の潮除け堤防が決壊、川内村の西部の榎瀬・中島・鈴江付近では一時的な浸水にとどまったが、これより東の村々では仮潮止め工... 続きを読む

明治25年の保瀬の崩壊

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明治25年(1892)7月、豪雨により、海南町保瀬で大崩壊が起こり、47人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む

明治25年の葛又山崩壊

明治25年(1892)7月、豪雨により、上勝町田野々の葛又山で大崩壊が起こり、16人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む

明治25年の高磯山の崩壊

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明治25年(1892)7月、暴風雨により、那賀町上那賀の高磯山(611m)が崩壊し、流出した土砂で那賀川は流れをせき止められた。この時、平谷の妙法寺の薬師堂が水に浮き、逆流して平谷八幡神社の上のあたりにまで浮かんでいったが、せき止めた土砂が決壊したため、薬師堂... 続きを読む

明治25年の洪水

明治25年(1892)7月、洪水により、県下で死者329人、家屋の全壊2,635戸、流失644戸。天皇、皇后より御見舞いの勅使。 続きを読む

明治25年の台風

明治25年(1892)7月、四国を横断した台風により、主に高潮による被害が出た。被害額は徳島では最高と言われた。 続きを読む

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