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条件:徳島県

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嘉永3年の風雨

嘉永3年(1850)秋、大雨、洪水。(「名東郡誌」による)/この年、風雨壌稼。(「蜂須賀家記」による) 続きを読む

嘉永3年の風雨

嘉永3年(1850)、風雨、稼を壊る。(六国史、類聚国史、蜂須賀家記等による) 続きを読む

嘉永2年の長善寺の大火

嘉永2年(1849)9月25日夜4ツ時(午後10時頃)、中庄村の長善寺が残らず焼失した。(「三好郡誌」による) 続きを読む

嘉永2年8月の洪水

嘉永2年(1849)8月11日、吉野川洪水により、川田村で死者256人、流失家屋56戸。(「山川町史」、「徳島年鑑」、「丹兵衛日記」、「住友家記録」、「徳島県史」、「吉野川のあゆみ」、「世界善悪年代記」による) 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月15日より数日、霖雨が降り続き、榎瀬村では川の堤防が破壊され村内一円が浸水した。酉の大水と言う。 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月10日~11日、大風雨。阿房水と呼ばれる。(「三好郡誌」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月8日~10日、豪雨のため国内の河川からあふれて大水となった。「酉の水」または「阿房水」と呼ばれた。この水害については「三好郡志」、「川内村史」の記事が掲載されている。 続きを読む

嘉永2年の風雨

嘉永2年(1849)7月10日~11日、大風雨。阿房水と言われる。 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月10日、11日の大雨は前代未聞の大出水を引き起こし、世人はこれを阿房水と命名した。酉の阿房水と言われる。被害を受けた田畑は、被害の多少に応じて2年間年貢を免除された。 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月10日から11日にかけて、大風雨、大洪水のため、辻町内は大浸水の害をこうむったが、人畜の害はなかった。これは「阿房水」と呼ばれている。なお、足代の教法寺の古文書によれば、阿房水の時には上郡川筋では余程の損害があり、山分の死者は250人に... 続きを読む

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