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条件:徳島県

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嘉永2年の風雨

嘉永2年(1849)7月8日、四日間大風雨、阿波全土で被災、旧吉野川及び川田で破堤、死者256人、流失家屋56戸、収穫は平年の6分。(「板野郡史」による)(吉野川における災害年表) 続きを読む

嘉永2年の風雨

嘉永2年(1849)7月8日、四日間大風雨、阿波全土に被災、旧吉野川及び川田で破堤。死者256人、流失家屋56戸、収穫は平年の6分。(「板野郡史」、「吉野川ーその治水と利水」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月8日の大風雨、11日まで続き、水は勝瑞城下に溢れ、人家漂流没す。(「蜂須賀家記」による)/「酉の水」または「阿房水」と呼ばれ、旧吉野川の坂東で100間が破堤、水位は地上平均7尺と言われた。川内町では堤防33箇所が決壊、鶴島、宮島、富吉、... 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月8日~11日、大風雨により城下に水が溢れ人家漂没す。酉の年の大水と言う。藩は士録10分の3を収むるを免じ、吉凶の礼を簡にし冗費を省く。(六国史、類聚国史、蜂須賀家記等による) 続きを読む

嘉永2年の阿呆水

嘉永2年(1849)7月8日から強風を伴って降り始めた大雨は、11日まで続いた。このため、吉野川、鮎喰川など主要な河川は至る所で決壊し、大洪水となった。鮎喰川では13箇所の堤防が決壊した。この大洪水は「酉の阿呆水」と呼ばれている。吉野川沿岸の祖母ヶ島、小塚、佐... 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月8日~11日の大雨は、酉の水または阿房水と呼ばれている(「徳島県災異誌」)。那賀川北岸の羽ノ浦では、万代堤が破壊され、濁流が田畑に砂を入れるなどしたが、平島では一部が浸水した程度で、さほどの損害もなかった。那賀川南岸では被害記録は見出せ... 続きを読む

嘉永2年7月の洪水

嘉永2年(1849)7月8日~11日、吉野川大水により川田の堤防が切れた。「酉年の大水」と呼ばれた。(「山川町史」、「徳島年鑑」、「丹兵衛日記」、「住友家記録」、「徳島県史」、「吉野川のあゆみ」、「世界善悪年代記」による) 続きを読む

嘉永2年の風雨

嘉永2年(1849)7月8日、大風雨。 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月8日、酉年の大水、城下にあふれる。(吉野川治水年表による) 続きを読む

嘉永2年の風雨

嘉永2年(1849)7月8日より10日にかけて大風雨となり、阿波全土で被害甚大。鮎喰川の堤防が13箇所にわたって決壊し、濁水は徳島城下に溢れ、多くの人家が流れ、前代未聞と伝えられる。藩士の録10分の3を免じ、吉凶の礼を甘藷にして経費の節約に努めた。(「蜂須賀家... 続きを読む

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