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宝暦2年の干ばつ

宝暦2年(1752)夏期、干ばつにより、損害田畑合計4,283石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

宝暦2年の水論

宝暦2年(1752)、久米方と浮穴方で大水論。(「久米郷土誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦2年の風雨

宝暦2年(1752)6月、風雨により、吉田藩の損毛2,150石余届出。 続きを読む

宝暦2年の水論

宝暦2年(1752)6月27日、旱天により、地割れした粕毛(かすげ)井堰掛かりの田を救うために、今在家・来住・南北久米の組頭らが森松村庄屋におもい堰の落水を頼んだが了解が得られなかったため、おもい堰を破壊した。翌28日、森松村から大勢の人足が出ておもい堰をせき... 続きを読む

宝暦2年の風雨

宝暦2年(1752)7月26日、大風雨により、損毛18,081石余。(「国府叢書」による) 続きを読む

宝暦3年の干ばつ

宝暦3年(1753)正月、吉田で去年の夏からの干ばつにより、田畑損毛4,283石余。 続きを読む

宝暦3年の水論

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宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む

宝暦3年の風雨

宝暦3年(1753)、風雨により、吉田藩の損毛は田畑計4,327石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

宝暦3年の水論

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宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む

宝暦3年の風雨

宝暦3年(1753)6月17日夕から18日まで、風雨、洪水により、損害田畑合計4,327石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

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