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条件:愛媛県

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明和8年7月の洪水

明和8年(1771)7月、洪水。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、干ばつのため、6月8日、八倉・宮ノ下・上野・徳丸・出作各村の700人の集団が小樋井手を切り落としたため、上麻生・下麻生両村民と矢取川で乱闘となった。この争いで宮ノ下村六兵衛、八倉村作左衛門の2人が死亡した。天領から死者が出たため、大洲藩も... 続きを読む

明和8年の水論

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明和8年(1771)6月8日、八倉・宮之下・上野・徳丸・出作の下5ヶ村の農民700人が小樋井手を切り落としたため、上・下麻生村勢200余名との間で乱闘になった。この矢取川の乱闘で死者2人と多数の負傷者が出た。宮之下と上野が天領であったため、関係者が備中代官所に... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)6月8日、干ばつのため、麻生と上野ほか5村と水論、死人2名。 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)6月、大いに旱。(「大洲旧記」による) 続きを読む

明和8年6月の洪水

明和8年(1771)6月、洪水。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

明和8年の水論

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明和8年(1771)、伊予郡両麻生村と下5ヶ村の水論起こり、死傷者あり。麻生の組頭窪田兵右衛門等、備中笠岡の獄に投ぜられる。(「愛媛県農業史」、「伊豫市誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)12月26日、山手代町から出火、新立まで焼失する。また、同夜、北清水町からも出火し、鉄砲屋町東詰で止まる。侍屋敷11、徒士以下の家290、町家650、寺2軒焼失する。「増田家記」「予松御代鑑」「三田村秘事録」による) 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)12月26日、山手代町より出火、新立まで、清水町より出火、類焼650軒。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和8年の水論

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明和8年(1771)6月8日、南神崎・徳丸・出作・宮之下・八倉の下5ヶ村の農民700人余が古樋井手の筧を引き落としたため、上・下麻生村勢200余名との間で乱闘になった。この矢取川の乱闘で下5ヶ村側に死者2人と多数の負傷者が出た。天領が含まれていたため、関係者が... 続きを読む

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