検索結果

5881件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県

年代順で並び替える : |

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、M8.4の地震が発生し、津波は紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大で、種崎では一木一草も残らなかったという記録がある。南路志などによると、安芸郡の海浜では600mほど海水が沖に退いてから... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、地震が起き、津波が襲来した。この論文では、宝永地震・津波に関する碑として、宝永津波溺死之塚(須崎市)が紹介されている。 続きを読む

宝永4年の地震による崩落

宝永4年(1707)10月4日、東南海地震(M8.4)と南海地震(M8.4)が起こり、「宝永地震記」によれば、越知町横倉・別府山二の宮の山で40~50丁が崩れ落ちたと言われているが、現地調査では確認できなかった。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、M8.6の地震による大津波が四国沿岸域に壊滅的な被害をもたらした。谷陵記によると、宝永地震津波による高知県の死者は、種崎700余人、宇佐400余人、福島100余人、須崎300余人、久礼200余人で、県下で死者1,700余人以上に... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日14時前、大地震が起こり、家屋は倒壊した。また、山や崖も崩れ、地割れが起こった。宿毛では地震により大火事が発生した。土佐国内の被害家屋は全壊4,855軒、半壊1,742軒、地震による死者は100~50人となっている。津波は余震... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日午過ぎ頃、地震が起こった。万変記によると、4日から5日にかけて11、2回大津波が襲ったようで、種崎では波高20mに達し、「潮、北は一宮仁王門まで、南は雪渓寺の院内迄」とある。土佐藩から幕府への訴えによると、被害は流家11,170軒... 続きを読む

宝永4年の土砂災害

宝永4年(1707)10月4日、南海地震により、横倉別府山二の宮の山は山頂から東方へ麓まで40~50丁(4.4~5.5km)ほど崩れ落ちた。(「宝永地震記」による) 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、南海大地震により、高知城下の地盤の沈下量は推定2.5mに及んだ。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日未の上刻(午後2時頃)、大地震が発生した。世に亥の大変という。地震により土佐国中の官舎、民屋が悉く転倒した。また、山間部では岩石のために死傷する者も若干あった。未の下刻から寅の刻(4時頃)まで津波が11度襲来し、海辺の在家は一所と... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午過ぎ、M8.4の南海地震が起こった。万変記によると、4日から5日にかけて11、2回大津波が襲い、種崎では波高20mに達し、「潮北は一宮仁王門まで、南は雪渓寺の院内迄」と記されている。また、「潮江、下知、新町、江ノ口より一宮、... 続きを読む

1 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 589