安政元年(1854)11月4日、5日の大地震により、津波が1丈4、5尺の高さで撫養に襲来し、藍田や人家に浸水し、多くの船が破損した。被害の最も多かったのは岡崎で、家が潰れたり焼けたりした。人々は近くの山々へ避難したが、岡崎では20人の流死者が、高島では子供1人... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分に大地震、その10分余の後に津波が襲来した。この南海大地震は、過去浅川村を襲った地震の中でも最大のものであった。被害は、死者85人、家屋の流失185戸、全壊161戸、半壊169戸、船舶流失80隻であった。津波の高... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海大地震が勃発し、津波により宇佐町を中心に大きな被害が出た。当時でも主要な港湾には自記水位計が設置されていたが、津波の直撃を受けて記録をとれていなかった。幸い仁西観測所は直撃を免れて、地盤沈下量1.2mという数値が測定でき... 続きを読む