嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こり、大津波が房総から高知沿岸に襲来した。この地震から32時間後の5日午後4時頃、同規模の南海地震が紀伊半島沖で起こり、房総から九州東岸に至る広い範囲に多くの被害をもたらした。... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日の南海地震による地盤沈下の被害は、小豆郡では山が海岸まで迫っているため小さい。それでも被害は家屋の破壊134戸、浸水618戸、農耕地80町歩、河川759万円余、道路2,347万円余、海岸2,767万円余、漁港3,188万円余、... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、M8.0の南海地震が発生したが、昭和南海地震は平均的な歴代の南海地震に比べて規模は小さかった。この報告では、平成13年に地震調査研究推進本部から公表された「南海トラフの地震の長期評価について」の内容に沿って、四... 続きを読む