嘉永7年(1854)11月25日、風雨。真覚寺日記には「浪高く四ツ(22時)頃雷鳴、八ツ(2時)前雷電し風雨共に止む。強の波橋田辺は人家の有りし処まで溢れ来る」と記されている。利岡清左エ門記録には「暮問頃より沖より風強く吹き出し夜五ツ(20時)より大時化となる... 続きを読む
大正7年(1918)1月16日昼頃、出火し、寄井東部、本野間、筏津などで全焼67戸、罹災者251人を出した。「神領村大火災誌」によると、寄井町で養蚕室の建築を請け負った大工が食事をするため茶を沸かしたところ、この残り火が北西の強風によって燃え広がったものであっ... 続きを読む