嘉永7年(1854)11月5日から6日にかけて、大地震があった。「富田有馬右衛門三郎が藩へ報告した記録」によると、「志度浦、津田浦大痛に候へども、怪我人は御座無く候。鶴羽浦御蔵所無事に候。総体山分はゆるやかの事に候」とある。また、「日記風の文」によると、「霜月... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海地震(M8.1)が起こった。四国の南部では著しく土地が隆起し、四国北部では沈下した。沈下は新居浜市付近で55cm、郡中(伊予市)で30cm、高縄半島の各地で25~30cmほどであった。このため、海岸部では水田が一部水没し... 続きを読む