嘉永7年(1854)11月5日申の刻、大震あり、時々微震は絶えざりしが、夕方に至り雨を催し、最早強震はせざるものと信じて避難者も帰村したるも、なお家には入らず、伊都多神社の境内または路傍等に小家掛けをなし老人小児を寝臥せしむ。 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海地震により、長浜の沈下量は28cmであった。喜多郡はほとんど海岸に平地がなくわずかに長浜町及び櫛生村字櫛生、出海村出海があるのみで、被害は大きくない。しかし、肱川の河床が沈下したため、潮位との相対的な関係から肱川の両岸に... 続きを読む