天明7年の水論

災害年月日
1787年00月00日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
渇水  
概要
天明7年(1787)から翌8年にかけて、日瀬里村の権名津の新井手をめぐって、日瀬里村と南北久米・来住の各村間で水論があった。南北久米・来住の各村が権名津の新井手に反対したが、藩が天明7年7月に実情調査し、日瀬里村に有利な判定をしたため、南北久米・来住の3ヶ村の農民が権名津の新井手を破壊して土台を掘り下げた。藩は仲裁を行ったが、3ヶ村側は解決の望みがないと判断し、農民205人が松山の奉行所に出訴した。しかし、代官の回答に失望して、3ヶ村の農民は大洲領に逃散した。
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参考文献
久米郷土誌編集委員会編「久米郷土誌」(久米公民館、1992年)、158-160頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
水争い 権名津の井手 南久米村 北久米村 来住村
NO.
愛媛908

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