昭和20年の洪水

災害年月日
1945年10月09日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
風水害  
概要
昭和20年(1945)10月9日、集中豪雨となり、10日夕刻、内川が決壊し、市坪に濁流が押し寄せた。市坪の西を南北に貫通する予讃線が土堰堤の役割を果たし、濁流は予讃線でせき止められ、市坪の集落は湖底に沈んだようになった。土壁は倒壊し、逃げ遅れ助けを叫びながら溺死した老婆もいた。この災害の復興には十数年を要した。洪水後の疫病により亡くなった人も数人いた。水害後、集落の中央を流れる傍示川ほか2箇所の排水口を拡大し、通路を設置し、集落が湖底とならないような措置が行われた。
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参考文献
郷編集委員会編「たちばなの郷」(松山市立たちばな小学校ほか、2003年)、36頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
集中豪雨 内川 洪水 市坪 死者
NO.
愛媛4013

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