享保17年の洪水

災害年月日
1732年06月12日
市町村
愛媛県東温市(重信町)
災害種類
風水害  
概要
享保17年(1732)5月20日より、天候不順となり霖雨続き、重信川が氾濫した。続いて、6月初めよりウンカが発生した。このため、農作物は収穫皆無となり、穀類は高騰し、松山藩内の餓死者数は、享保17年11月29日の幕府への届け出によると、3,589人に達した。伊予郡筒井村の百姓作兵衛が、己の一命を投げ打ち麦種子を残して餓死した事件は、この飢饉の時であった。
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備考
拝志小学校の西方、拝志大橋に通じる道端に享保飢饉の供養塔が建立されている。
原資料
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参考文献
重信町誌編纂委員会編「重信町誌」(重信町、1975年)、160-162頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
重信川 享保の飢饉 死者 作兵衛
NO.
愛媛4061

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