寛永7年の干ばつ

災害年月日
1630年00月00日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
渇水  
概要
寛永7年(1630)、天久しく雨を下さず、枯旱焚くが如く、田面多くは亀裂して穀禾登らず、郷民大に憂色あり。/この干ばつにより、片平村の稲田は収穫を見込めないため、庄屋の久兵衛は代官に減租を願い出たが、聞き入れられなかった。農民たちは自暴自棄に陥り、稲を焼き払った。藩では多数の農民を拘束して取り調べたが、主謀者を特定することはできなかった。久兵衛は火を放ったのは自分の一存によるものであると申し出て、捕らえられ、生田原ではりつけ処刑された。
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備考
松山市古川北2丁目に今村久兵衛顕彰碑が建立されている。
参考画像
参考文献
御薗生竹崖「義民久兵衛に就て」(伊豫史談会編「伊豫史談 第42号」伊豫史談会、1925年)、378-381頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
干ばつ 片平村 今村久兵衛
NO.
愛媛6953

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