明治32年の別子銅山水害

災害年月日
1899年00月00日
市町村
愛媛県新居浜市(別子山村)
災害種類
風水害  
概要
明治32年(1899)、別子山村の見花谷等で大水害が発生し、多数の犠牲者が出た。医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明かりを灯すことにより、人々が元気になれることを教えている。
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備考
別子銅山の見花谷、両見谷などでは大水害に見舞われた。
参考画像

参考文献
和田一範・松尾裕治・山本基・武田由美子「四国に伝わる災害の教訓に関する考察」(土木学会土木史研究委員会編「土木史研究論文集Vol.27」2008年)、84頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
別子銅山水害 死者 新居浜史談 教訓
NO.
愛媛9054

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