明治5年の水争い

災害年月日
1872年00月00日
市町村
愛媛県四国中央市(川之江市)
災害種類
渇水  
概要
明治5年(1872)、金川村と三角寺村の間に水争いがあった。谷水が等分に流れるように置いていた分水石を切って流量を変えたため、水争いが起こった。(「惣改帳」による)
Googleマップ
原資料
原資料PDF1を表示する
参考文献
川之江市誌編さん会編「川之江市誌」(川之江市、1984年)、249頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
水争い 金川村 三角寺村 分水石 惣改帳
NO.
愛媛478

よく似た災害

明治45年の水争い

明治45年(1912)5月、北吉井村で水争いが起こり、警官出動。 続きを読む

明治37年の水争い

明治37年(1904)、旧吉野川潮止水門三ツ合で水争いが起こり、農民の流血騒ぎあり。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

明治27年の水争い

明治27年(1894)5月から8月まで雨量が少なく、夏季に記録的な高温が続いたため、各地で水争いが生じた。那賀川北岸では、大井手用水の渇水がひどく、7... 続きを読む

明治27年の水争い

明治27年(1894)、大干ばつのため、7月19日午前1時頃、竹原堰の下流にある大井手堰の組合員千人余が舟路の浚渫という名目で、竹原堰を縦断して400... 続きを読む

延宝2年の水争い

延宝2年(1674)、妻鳥村民と上分村民の間に水争いがあり、流血の惨事となった。(「上分史」による) 続きを読む