元禄16年の水論

災害年月日
1703年00月00日
市町村
愛媛県砥部町
災害種類
渇水  
概要
元禄16年(1703)、大干ばつに際し、水の少ない神崎・上野・徳丸・出作・八倉の下5ヶ村では稲の生育が危ぶまれた。このため、5ヶ村の農民は7月21日夜に古樋井手の樋を切り割って、一ノ井手に水を落とした。これに対して麻生村の農民が抗議して、水論が7日間に及んだが、28日になって大雨が降って、事なきを得た。 
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備考
重信川からの水路として、上麻生村(大洲藩)と下麻生村(新谷藩)のための「古樋井手」と、南神崎村・徳丸村・出作村(松山藩)と上野村・八倉村(大洲藩)のための「一ノ井手」が並行していた。
原資料
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参考文献
砥部町誌編纂委員会編「砥部町誌」(砥部町、1978年)、198頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
干ばつ 水論 古樋井手 一ノ井手
NO.
愛媛984

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