宝永4年の地震

災害年月日
1707年10月28日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
地震・津波  
概要
宝永4年(1707)10月4日、地震があり、特に伊勢、紀伊、土佐、阿波国等太平洋岸では異常な高汐が押し寄せ、海岸地方の被害は特に激甚であった。この時、道後の湯が止まり、松山城の石垣が崩れ落ちた。藩士松平定直は湯神社に朱の鳥居を急造し、冠山に植樹して、山容を整え、楽を奏して、3日3晩の断食祈願神事を行った。道後の湯は、年明けて閏正月29日に再び湧出した。以後、この日を記念として、敬虔な祈りを神に捧げて「温泉祭」が行われるようになった。
地理院地図
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参考画像
参考文献
牧野竜夫「湯祈祷記ー道後温泉震災の記録ー」(牧野竜夫編「伊豫史談 第188号」伊豫史談会、1968年、所収)、35頁
情報源の種類
災害記録、災害体験集
キーワード
宝永地震 道後温泉 松平定直 湯神社 温泉祭
NO.
愛媛1473