文化6年の干ばつ

災害年月日
1809年08月07日
市町村
愛媛県大洲市
災害種類
渇水  
概要
文化6年(1809)6月26日、干ばつのため、宇和島領平地村の竹之窪井堰で、新谷領阿蔵村と大洲領大洲村との間に水論が起こった。阿蔵村は慣例にしたがい上流の平地村に申し入れ、竹之窪井堰の水脈をあけたが、大洲方がせき止めたため水が途絶えた。このため、両者は口論となり、阿蔵方に非ありと処分された。これに対して、阿蔵方は事件の再審を願い出た。結局、紛争が解決したのは、翌文化7年10月30日であった。大洲・新谷両藩は、紛争の禍根を断つため替地を幕府に願い出て、文化9年に認可された。
地理院地図
Googleマップ
備考
大洲市の圓満寺前に竹之窪水騒動碑がある。
参考画像
参考文献
門田恭一郎「伊予における水論について(下)」(高須賀康生編「伊豫史談 第318号」伊豫史談会、2000年、所収)、40-41頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
干ばつ 竹之窪水論 阿蔵村 大洲村
NO.
愛媛1560