治承4年の水争い

災害年月日
1180年00月00日
市町村
香川県土庄町
災害種類
渇水  
概要
治承4年(1180)夏、池田庄の名主公文源次と肥土庄の神人花安男との間で、梳原(肥土山石原)で用水のことで論争が起き、それが原因で花安男が殺された。このことがもとになって、池田と肥土山の地堺に八幡宮が創建され、富丘八幡宮を一の宮とし、この宮を二の宮と呼んだ。この宮が肥土山離宮八幡神社の前身である。
Googleマップ
参考文献
蛙子池土地改良区・土庄町編「伝法川水系治水利水史」(蛙子池土地改良区・土庄町、1985年)、136頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
水争い 死者 二の宮
NO.
香川1683

よく似た災害

治承4年の水争い

治承4年(1180)夏、池田庄の名主公文源治と肥土庄の神人花安男との間で、梳原で用水をめぐって論争が起こり、花安男が殺される事件となった。これにより、... 続きを読む

明治10年の水争い

明治10年(1877)8月10日夜、田中村(三木町)の農民200~300人が新川支流の吉田川上流の屋古戸関に押し寄せて、鍬で井関を打ち壊した。この井関... 続きを読む

享保8年の水争い

享保8年(1723)5月5日、下井堰の農民が中井堰を切り取り、主謀者が検挙される事件が起こった。下井堰は中井堰の下流に建設された堰で、もともと水がかり... 続きを読む

明治10年の水争い

image

明治10年(1877)夏、西潟元村(高松市屋島西町)では田植え水が不足したため、久米池からの配水を要請したところ、春日村、新田村(高松市春日町、新田町... 続きを読む

大正2年の水争い

大正2年(1913)8月、高井堰の用水が不足し、水田に亀裂をきたす状態になったのを見かねて、藤ヶ井堰の余裕水を供給しようとした。しかし、藤ヶ井堰からの... 続きを読む