明治26・27年の干ばつ

災害年月日
1893年06月00日
市町村
徳島県海陽町(海南町)
災害種類
渇水  
概要
明治26年(1893)6月から8月13日までの64日間、全く雨のない干天が続き、翌27年も干害となった。多良村の人々が大里用水に新たに数個の堰を設けて取水したところ、下流の大里村の人々が27年3月に堰を取り払い、対立した。警官が出動、郡長や村長の仲裁で一旦は堰を元に戻したが、これを不服とした大里村の人々は徳島地方裁判所に訴訟を起こした。一審は原告が勝訴したが、大阪控訴審と大審院は、本来用水は町村長が管理すべき財産であり、原告、被告とも訴訟する権利がないとして門前払いした。
Googleマップ
備考
大里用水は、昭和30年代になって、海部川北岸用水として統合され改修された。
原資料
原資料PDF1を表示する
参考文献
海南町史編さん委員会編「海南町史 上巻」(海南町、1995年)、589-593頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
干ばつ 大里用水 多良村 大里村 訴訟
NO.
徳島550

よく似た災害

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)は大干ばつで、8月20日午前2時に南吉井村北野田(重信町)の農民80人が大割泉に押しかけ、浮穴村高井(松山市)の泉番の農民3人を袋... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)、日照りが続き、大変な水不足に襲われた。この時、新改川の上下流で水争いが起こった。下流の植田・久次(ひさつぎ)の人々が新改川のコロ... 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)から翌8年にかけて、日瀬里村の権名津の新井手をめぐって、日瀬里村と南北久米・来住の各村間で水論があった。南北久米・来住の各村が権名... 続きを読む

明治16年の干ばつ

明治16年(1883)、干ばつのため雨乞いを実施。郡里村の村会決議録によると、雨乞い費用として、村が円願勝寺に2円を贈与する決定がなされたことが記され... 続きを読む

明治45年の水争い

明治45年(1912)6月末、釜カ渕下の横井をめぐって、春日地区と塩入地区の人々が水争いをした。 続きを読む