安政元年(1854)11月5日、土佐沖を震源とする大地震により、死者3,000人。(「大日本地震史料」による)5日午後4時に地震が起こり、7日に最も震動激しく、相当期間余震が続き、人々は三本松などに避難した。6時頃津波が押し寄せ、川につないでいた400石船が宮... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、M8.4の南海地震が起こった。津波の規模は宝永大地震をやや下回る程度であり、その被害は死者372人(男98人、女276人)、怪我人180人(男73人、女107人)、流失3,182戸、潰家3,030戸、半壊9,142戸となった。(... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時頃、南海地震が発生し、津波が襲った。 由岐小学校の校庭には小舟が打ち上げられ、庭球コートの支柱には女児を背負った婦人の死体が引っかかっていた。(川尻隆氏記) 西由岐では、死者が2人出て、浜寄り家はたくさん壊れ、下町は2... 続きを読む