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嘉永3年5月の洪水

嘉永3年(1850)5月3日、風雨、水層2丈2尺5寸。(「大洲藩譜」による)/大洲の水位2丈2尺5寸。(「大洲警察署記録」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月、肱川の出水により、増水量が9.3mと最大となり、被害は流死30人、流家49軒に及んだ。(「荒れる肱川」による) 続きを読む

明治40年6月の火災

明治40年(1907)6月3日夜、西下町西部の南側から出火し、東は山際から袋町に通ずる横丁まで、西は築地坂までの両側20余戸を全焼した。(「百笑宮崎」による) 続きを読む