嘉永7年(1854)11月4日朝から揺り始め、5日には大揺りとなり、その夜は前代未聞の大震となった。11日、15日、25日及び12月12日、14日にも強震が続発、ついに不祥を忌み嫌って12月13日に安政と改元したため、安政南海地震と言われている。大晦日には大体... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日に大地震があり、長尾の古老の伝承によると、ふらついて道を歩けず、たまり水、便所のため肥が踊り、人々は余震を避けて竹やぶに避難し、数日野宿したという。また、八幡池の堤防が決壊して水を溜めることができなかった。 続きを読む
正徳元年(1711)11月、東讃で津波が起こり、人々は山に逃げた。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む