享保6年の洪水

災害年月日
1721年08月00日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
風水害  
概要
享保6年(1721)7月、洪水のため石手川が氾濫して、堤防が決壊した。これにより、流失家屋889軒、死者72人、山崩れ29,220箇所に及ぶ被害が出た。また、田畑3,716町余が「川成、砂入、汐入、水押」の有様であった。藩士は出動して警戒に当たるとともに、高100石について10人の人夫を出し、また城下町から15,000人、三津から5,000人の人夫を徴発して、善後策に当たらせた。
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原資料
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参考文献
松山市誌編集委員会編「松山市誌」(松山市、1962年)、68頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
洪水 死者 石手川 堤防決壊
NO.
愛媛3515

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