明治25年の高磯山崩壊

災害年月日
1892年07月25日
市町村
徳島県那賀町(上那賀町)
災害種類
土砂災害  
概要
明治25年(1892)7月25日午前11時または正午頃、台風に伴う集中豪雨により、下木頭村大戸の高磯山が大規模に崩壊した。このため、荒谷及び春谷の人家10数戸、60余人を埋没させた。崩壊土砂は那賀川を堰き止め、天然ダムの湛水は1時間に2尺に割合で上昇した。崩壊から52時間後の27日午後4時頃、天然ダムは決壊し、洪水が下流に押し寄せた。天然ダム決壊の恐れがあることは事前に下流に知らされ、決壊時には鉄砲、大砲、狼煙などで伝達されたが、鷲敷町では水死3人、流出家屋81戸等の被害があった。
地理院地図
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備考
つずら峠と木頭森林組合前に碑が建立されている。
参考画像

参考文献
井上公夫・森俊勇・伊藤達平・我部山佳久「1892年に四国東部で発生した高磯山と保勢の天然ダムの決壊と災害」(砂防学会編「砂防学会誌Vol.58-4」砂防学会、2005年、所収)、3-12頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
高磯山崩壊 死者 那賀川 天然ダム 情報伝達
NO.
徳島1493